七月は猫スタートの月

七月は猫スタートの月

数年前の今頃、思い立って保護猫施設を訪れ、子猫を譲り受けました。七月は、私にとって猫の存在に助けられる人生がスタートした月です。

 

当時私は、website上で様々な保護猫団体の譲渡条件を眺めては、差別の言葉に満ちていると感じていました。(たとえば、自分が家庭を持たない男性という設定でお読みいただくと、もう絶望的です。)

譲渡条件を設けている側は、一度捨てられた猫を二度とそんな目に合わさないように、終生飼いを願うがあまり、猫愛と命の責任感から勢いそのような表現をしているのだろうと思います。何とか助けた命、大切につなぎたい、その想いで、悪意があるわけではありません。

一方、譲渡される側としては、譲渡時には誓約書に署名しますので、条件の狙いをしっかり共有できていれば、個人の生活スタイルからの先入観で可否の線引きをしなくても良いのではないか、と思うのです。表現を配慮した形に見直せば、もっと譲渡機会も増えるのではないか、と。

幸いにも、私はあまり厳しくライフスタイルを問わない団体から譲ってもらうことができ今があります。が、数年経って世間ではどうでしょう。

 

この時期を迎え、猫との出会いを感謝し、また先月のできごとを振り返って、10年後も自分自身が心身ともに健康であり続け、猫の終生飼育を全うしよう、と強く思うのでした。

 

いやー、しかし。老人・単身者こそ猫愛・猫パワーが要るのに。終生飼育の責任を負うのって難しくて飼えない?どーしたらソコ埋められますかね。なんとかできないかなー。貸出?VR?猫ホーム?うーん。