香典立て替え5千円??

香典立て替え5千円??

今日という日に特に何も書くことがなくて、ふと手に取った数年前の手帳を捲ってみたら、「香典立て替え5千円」と書いてありました・・・。

サラリーマン時代、よくお香典を立て替えたのですが、あの習慣はなんなのでしょうねぇ。社員の親族が亡くなったときなど、有志で香典(内規で職位毎に決まった金額、それ以外でも構わない)を集め、通夜に駆け付けられる人が代表になって渡す、というのが一般的(?)なやりかたで、集金時に出張などで不在の場合に誰か(往々にして中間管理職だった私)が先輩や上司の香典(平社員よりは高額)を立て替えるのです。

有志なのだから、当日いなければ(参加できないのだから)パスして(年下の人たちは、持ち合わせがない場合などは、素直にパスしていました。)、どうしてもその方に弔意を表したければ、別立てで後日お手紙を書いたり、お花やお花券などをお渡ししたりすればよかろう、と思うのですが、当時はそういう習慣に則っていました。変に目立たつことなくまわりに揃えるという日本的な良い習慣なのでせう。

でも、これから続く超高齢社会で今後は家族葬や、手順を簡略化した直葬が増えそうなので、職場の同僚が香典を包んで参列するということもなくなっていくかもしれませんね。

葬儀といえば、家族の心中を察したり故人を偲んだりしながらも、式場で葬儀屋さんの案内に促されて隊列を組んだりお辞儀をしたり、流れ作業のように香典返しを受け取ったりしていると、これはいったい何のためにやっているんだろう??という不思議な気持ちになります。身内の葬儀でも、世帯が違えば決まったことに従うまでなので同じ気持ち。

日頃まったく付き合いのない宗教に、突然よろしくお願いします、ってみなさんどうされているんですかね。そのために葬儀屋さんがあるのかもしれませんが・・、主体にならない限りこの大人げない思考がぐるぐるまわりそうです。

そんな中、過去に参列して楽しかった(?)印象深い葬儀は、祖父、祖母を見送ったときのものです。神道では葬儀はお祭りで、近隣の方々がみなさん手伝ってくださり、女性は裏方で大きな鍋で煮ものなどを作ったり。私は台所の隅でようすを見ながらたまに手を出しては役に立たないことを実感し、しばらくしてから外の作業を見に行き、それはやらなくていいといわれ、完全に傍観者でしたが(笑)。神道の葬儀に展張される浅黄幕は、暗く湿った印象がなくていいなと思います。元来「青」は葬地や墓地を表すと民族研究者の方がいっていたことは、この出来事を思い出すとなんとなく腑に落ちます。

ときに煩わしいつながりかもしれませんが、地元の絆を感じて素敵だなと思った光景です。こういったつながりがあることで、個人レベルでは守っていけないものが継がれていくのでしょうね。と思ったり。

 

そうそう。立て替え、返してもらったのかなあ、と思って、確認したところ、後日ヤキモキしないようにちゃんとメモがしてありました。偉いなあ当時の私。自画自賛。