25日のありがとう

25日のありがとう

約30年前に母が編んでくれたセーターを、今年しばらくぶりに出して着ました。思い出がある品で処分できず手元にありました。

モヘア製なので毛玉ができやすく毛のグッタリ感が酷かったのですが、丁寧に毛先をカットしたら生き返えりました。すごくきれいな青緑色、好きな色なので手放さずにとっておいてよかったです。さすがに、ちょっと、セーターの襟ぐりや全体のフォルムが私の年齢体型に合わなくなってきましたけれどね。

この際クッションにでもリメイクしようかなあ。

これを私に編んでくれた冬、母はなんと10着以上のセーターを仕上げた(12?13?)と聞きいています。同じ姿勢をとり続けた所為で、頸椎が石灰化したって言っていたような。あれ以来編み物はしていないようですが、この集中力はすごい…真似できない。そういう特技?は、似ませんでしたね。

しかし、よくも悪くも両親に似ているなあという今日この頃です。その両親にもそのまた両親がいて、いろんな人の遺伝子が、継がれ継がれて私として現れ、存在しているんですから、感慨深いですね。

こういうことを考えると、どんなシーンでも、一人で存在しているのではない、と実感できます。

世の中で一人ぽっち、と寂しく思っている人がいたら、ぜひこの視点で見ていただけたら。ウザいほどひとりじゃないですから。

 

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