もったいないより優先されるもの

もったいないより優先されるもの

もう何日かしたら処暑(8月23日~9月6日)ですか。月日が流れるのが早いですね。ちょっとずつ日が短くなっていることを実感し、周りの植物や虫たちの様子から季節が置き換わっていっていることを知らされます。

さて先月、オリンピックのお弁当の廃棄について、もったいない、まだ食べられる、どこどこへ配布すべき、という話題を目にしましたが、わたしは事業者側のことを想像してしまって、責められないなぁと感じてしまうというお話です。

お弁当が残ったからといって、契約外での有効利用(貧困家庭への配布?)は、運搬・保存方法は保証できるのかな?お弁当を作る側としては、食中毒の予防から責任が取れない扱いは絶対避けたいはず。死人が出ることがありますから。

食品ロスは可能な限り減らしたいことだとは思いますが、それぞれの立場で安全を確保しなければならない事情があるのではないかと。食中毒が発生したら事業者は被害者への対応はもちろんのこと、行政処分も受けるし、対応業務で人件費等が増加、通常業務もできなくなるし、イメージ悪化、消費者の買い控えで売上も減少、経営が悪くなって事業継続が困難になる・・・っていうリスクがありますよ。それに、事業者側で処分(廃棄)のルールがあるなら、それに従わずルールを破る方が会社としてアウトだよね・・。

発注側の見立てが甘かったという批判もあるかもしれない。突然の無観客開催での弁当注文は、通常よりも数量の予測が難しかったでしょう。いろんな変更があった上での現場を想像すると、足らないよりは、という判断だったのでしょう。

食べ物の廃棄は、無くさなければならないことです。残ったお弁当を欲しい人が受け取りにくるとか、業者さんが特定のところに納めに行くとか、そういったことが臨機応変にできればいいと思うけれども、急に起こる事態に、都合の良く手配できる人がその辺にぶらぶらしていることはまずないし、対応方法が自然に湧いてくることはないですよね。

そのうえ、公平性や透明性が求められたら、自由度はぐっと下がりますよね。仮に余剰分をどこかの団体に納めれば、もらえなかった人たちから不満が出るでしょうし。不確実なところを入札して決めておく?配布先をリスト化しておく?理想的思いつきはあっても、組織では実行できないというのが現実では。もったいなかった、とても残念なことではあるがしかたがない。このことは別な何かに活かしましょう、まずは無事にイベントをやり切れお疲れ様でした、と、どうしても事業者側のことを想像して、責められていることを気の毒に感じてしまうのです…。

余った弁当で思い出しましたが、昔、勤務先に知らないおじさんが切羽詰まった顔をして寿司折500円で売っていきました。総務部長がいうには、そのおじさんは近所のお寿司屋さんだそうで、発注ミスだか急なキャンセルだかで大量にお寿司が余ってしまい、困っているのでどうか協力してやってほしい、と。そりゃ大変でしたね、と、私を含め何人かは寿司折を購入し、おひる休み楽しみに蓋を開けたら、全部かんぴょうの海苔巻き!!ん~これ500円かぁ(微妙)・・・って思いながらかんぴょうはおいしいね、とオールかんぴょう巻き折をじっくり味わったことがありました。あれはいったい、どんな注文だったんでしょうね?